アラヤ式 映画紹介_Magazine POST

観た映画を気まぐれに紹介していくページです。

【映画紹介】第2回『007/カジノ・ロワイヤル』

1.Prologue
 2020年4月公開予定だった『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、7ヶ月遅れて今年11月公開予定。これも全て、コロナってヤツの仕業です。おのれ。まあ、恨み節はさておいて、今回は007シリーズ第21作目『007/カジノ・ロワイヤル』について紹介していきます。

 本作、ジェームズ・ボンド役はご存じダニエル・クレイグ。公開前は「金髪のボンドなんて!」という批判(長寿コンテンツに付き物のアレ)もあったそうですが、当人の好演で見事にアンチを黙らせたそう。いかすぜ。奇しくも第1回に続いて、「ダニエル」繋がりになりましたが、特段の意図はありません(笑)。

 ヒロインのヴェスパー・リンド役は、エヴァ・グリーン。本作で初めて見た女優さんなんですが、「どえらい美人だな」という語彙力を全力で放り投げたコメントを引き出してくれました。キリッとした目元が印象的。

 「M」役は、ブロスナン版に続いてジュディ・デンチ(別人設定ですが)。最近、予告版を見た『ジョーンの秘密』という映画で主演でした。ちなみに、役どころはKGBの女スパイだそうです。つくづく、スパイに縁がある御方だ。

 「Q」やマネーペニーは、本作では登場しないのでこの回では割愛します。

 ……それでですね。白状しますと、ワタクシ実はブロスナン版とクレイグ版しか観たことがないんですよ。コレを聞くと、熱心かつ敬虔な「信者」たち(ファンとは呼ばない)は、「全シリーズ観たこともないヤツが知った口を叩くな」とか「●●版を見ていないヤツはにニワカだ」とか言い出しそうなんですが、敢えて感想・紹介を書くことにしました。

 まず、そういう連中ってファンとは呼べないと思うんですよね。新規の視聴者に対して知識をひけらかしたり、マウントを取ったりするのは、コンテンツにとって何の助けにもなりません。「死ぬのは奴らだ」ではなく、死ぬのはコンテンツです。だから、連中の口車に乗る必要は全くない。

 排外主義者が、あらゆるコンテンツをとっつきにくくすることを、我々(だれ?)は既にガンダムで学んでいます。だから、ぼくは臆面もなく知ったような口を叩いていきます。未視聴の人が手に取ることで作品は生き残っていく訳だし。

 ……あ。でも、間違ったこと言ってたら優しく教えて欲しいな(予防線)。


2.Outline (内容知っている人は飛ばして良いヤツ)
 MI6の裏切り者二人を殺害し、「00」に昇格したジェームズ・ボンド。彼が、「007」として初めて挑む任務は、国際テロ組織の資金調達ネットワークの壊滅だ。

 爆弾密造人・モロカの携帯を奪い、その通信履歴から雇い主(=ル・シッフルたち)がバハマにいることを割り出したボンドは、単身で発信元のリゾートに向かう。そして、ホテルの監視映像から発信者が武器商人のディミトリオスだと知った彼は、その妻・ソランジュに接触。ディミトリオスがマイアミ空港に向かったことを聞き出す。

 その日、空港ではスカイフリート社の大型航空機がお披露目を予定していた。ル・シッフルたちの目的は、この航空機を初披露の場で爆破し、同社の株を暴落させることにある。スカイフリート株が暴落すれば、空売りをしていたル・シッフルの手元に莫大な利益が転がり込む。そういう算段だった。

 しかし、爆破計画はボンドの活躍によって未遂に終わり、ル・シッフルは巨額の損失を被ることになる。テロ組織から預かっていた金で投機を行っていた彼は、このままでは資金を返済することもできない。そこで彼は、モンテネグロで開催される「カジノ・ロワイヤル」に参加し、ポーカーで損失を取り戻そうとする。

 そして、ボンドもまたこれを阻止するべく、カジノ・ロワイヤルに参戦することとなる。


          ※以下、ネタバレ要素を含みます。


3.Sentiments
 劇場公開直後なら兎も角、今は2020年8月。公開から既に14年も経過していますから、本作の見所については粗方語り尽くされていることでしょう。たとえば、以下のようなものですね。

・「冒頭、モノクロで描かれたシーン。あそこで二度目の殺人を達成し、『00』に昇格した所で、画面がカラーに切り替わるって演出がサイコー。ニクいね、キャンベル(監督)」
・「『00』に成り立てで、風体やアクションがまだ荒削りな感じが表現されてて良い。パルクールしてる時のクタクタシャツなんか、『らしく』ない部分が残っている感じ」
・「欲を言えば、もうちょっとボンドカーに活躍の場を与えて欲しかったぜ。仮に最後はスクラップって末路が変わらないにしても(横転ぷりは凄かったけど)」etc.

 絶対、誰かが言ってます。というか、誰も言ってないことをコメントするのは、ほぼ不可能でしょう。まあ、その点に腐心するのもおかしな話なので、自分のセンスに忠実に紹介していきたいと思います。――あ、嫌な予感がした方はかなり正しいです。ええ。

 ぼくが何より強調したいのはダニエル・クレイグの“エロさ"です。
 そして、“格好良さ"。そして“エロさ”です。

 考えてもみてください。この世に何人居るでしょうか。金たm……失敬、股間の巾着袋」をしばかれてても画になる男なんて。ぼくの知る限り、該当するのはダニエル・クレイグただ一人です。彼は「股間の巾着袋」をル・シッフルにペちペちされながら、こう言いました。

「(ナニが)痒いんだよ。(ナニを)掻いてくれないか」「(強打されながら)もっと右」「(クリーンヒットして)そう、そこだ!」「お前は俺のタマを掻きながら死ぬんだ(大笑)」

 不敵。かつ、エロい。
 ぼくなんかがあの拷問を受けたら、一発で色々漏らします。口座番号やら、暗証番号やら、汚い汁やら。もう見るも堪えない状態になるでしょう。しかし、クレイグ・ボンドは違います。アレはもはや、一種の肉体表現です。芸術に近い。

 だから、「見ていて玉がヒュンとするぜ」などとケチなことを言っている連中には、こう教えてあげましょう。「これは拷問ではない。スポーツだ」と。


4.Tips
・『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は、今年11月公開予定だ。見逃すな! 以上!

【映画紹介】第1回『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』

 

1.Prologue
 ディック・ロング。「冗談みたいな名前だな、誰だこれ撮ったのは」と思って覗いてみれば、監督はダニエル・シャイナート。『スイス・アーミー・マン』でダニエル・ラドクリフをおならジェットスキー(!)にして、我々が持つポッター像を粉々に粉砕したヤバい御仁です。もう既にこの時点で、ヤバい気配しかしません。ヤバいね!

 しかもキャッチコピーは、「ディック・ロング、逝く!」です。

 あまり野暮なことは言いたくないけど、その手のネタが苦手な人は触らない方がよろしい。あと、親や彼氏彼女と行くのも考えた方がよろしい。
 どうしてかって? 訊かないでくださいよ、破廉恥な。


2.Outline
 舞台は、アメリカ南部のいなか町。
 ジーク・アール・ディックの三人は、バンドの練習と称して夜な夜なバカ騒ぎを繰り返していた。それが起こった夜も、彼らは酒を飲んだり、股間にロケット花火を挟んだり、実弾で射的ごっこをするなどして羽目を外していた。ディックの身に悲劇が起こるまでは。

 画面が切り替わると、ジークとアールの二人が自家用車でディックを運んでいる。「死んだか?」「まだ息はある」などと会話しながら、二人が向かったのは町の病院。

 彼らは人目を忍びながらディックを運び、そして病院の前に置き去りにしてしまう。その場にいたドクターが処置を行なったものの、ディックが負った傷はあまりに重く、翌日には帰らぬ人となってしまう。

 ――ジークたちは何故、自身の関与を揉み消そうとするのか。ディックは何故、死んでしまったのか。嘘が嘘を生み、やがて彼らの偽証は破綻を迎える。

 と、ここいらがシリアスに説明できる限界ですかね。
 だって皆さん、思い出してみてください。この作品のタイトル、なんでしたっけ。そうです、『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』です。

 監督は誰でしたっけ? そうです、シャイナート監督です。ダニエル・「ジェットスキー」・シャイナート。シリアスで終わる訳がない。

 というか、ディックの死の真相が明らかになるほど、この作品が謳う「ダークコメディ」っぷりが露わになります。ジークたちがジタバタするほど、おバカになっていきます。それを楽しむ映画です。さあ、バカを観に行きましょう。


         ※以下、ネタバレ要素を含みます。


3.Sentiments
 真面目に考えてみると、「人ってのは多面的な生き物でね。相手によっては夫だったり、父親だったり、悪友だったりと色々な顔を持っている生き物なんだ。そしてその全てが、紛れもなくその人自身なんだ。『人って計り知れないね』」という風になるかもしれない。ならないかもしれない。

 なぜなら、ディック・ロングは馬のコメットに直腸を破られて死んだからです。分かりやすく言い換えましょう。ディック・ロングの死因は、コメットのロングディックです。

 ああ、駄目だコレ。たぶん、どう言っても酷い。開き直ろう(笑)。
 登場人物たちも、このあんまりに「あんまり」な死因に、どう反応したものか困惑していました。ジークの妻・リディアなんか事の真相をジークから聞いた時、表情が凄いことになっていました。

 ディックの倒錯した趣味に付き合っていた夫への「侮蔑」。
 事実を隠蔽し、家族を騙そうとした夫への「怒り」。
 そして、ディック・ロングの死因がコメットのロングディックだったことの「可笑しさ」。

 これらの感情が、まぜこぜになって現れたのです。
 リディア役のバージニアニューカムは見事に、人類の表情筋が持つ可能性を見せつけてくれました。あの表情こそ、この作品を体現したものであり、最大の見所(言い過ぎか?)です。MVPを送りたい。

 あと見所と言えば、ディックの妻・ジェーンがコメットの毛並みを撫でながら、ジークと会話するシーンも外せません。

「夫は浮気をしていたの?」と問うジェーンに、ジークは首を振ります。
「いや、浮気はしてない」


 そうでしょうとも。客席各所から笑い声が漏れました。ぼくも笑いました。

「奥さん。貴女のディックが熱を上げていたのは、そこにいる牡馬のコメットです」「彼はコメットのディックに夢中でした」「貴女のディックは、コメットのディックで死にました」「貴女が撫でている馬は、ディックの仇で情夫です」

 そうは言えないジークの心中は、如何ばかりだったでしょうか。
 誤解を恐れずに言えば、こういう不謹慎なユーモアはアラヤ好みです。


4.Tips
 ・ディック役はシャイナート監督だそうです。最初、気付かなかった。
 ・ジークの娘・シンシアが可愛いです。
  リディア(母親)が口走った「ピー音」待ったなしの台詞を聞き取って、執拗なまでにジークに意味を訊ねます。子どもは純粋で良いなぁ(濁った目)。
 ・『ダークナイト』のパンフをゲットしました。思わぬ戦利品。
 ・ただし、『ディック・ロング~』のパンフは入荷してませんでした。ちくせう。

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 こんな感じで、映画の感想めいたものを書いていきますんで、引き続きどうぞ宜しく!
 
まずは是非、ロングディックを観てくださいね。
 じゃなかった。是非、『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』を観てください(ゲシュタルト崩壊)。おすすめですよ。

 

【Anti】Self-Introduction

 正直ぼくは“自己紹介"という儀礼があまり好きではありません。「ぼくはAであり、Bであり、Cです」といった具合に説明すると、そこに有るのは列挙された三つの事実だけです。

 たった三要素で、自分という人間が粗方説明できてしまうというのは、とても腹立たしいことです。

 “ぼくらは財布の中身でも、ファッションでもない”

 ってやつですね。

 メンドー臭いやり方ということは重々承知しているのですが、ぼくは外堀を埋める形式で自分という人間を説明したいと思います。「~でない」調で話すということです。

 まずご説明に際して、「デジタルネイティブ」と呼ばれる人種について触れたいと思います。彼らは、1980年代以降に産まれた「インターネットに強い世代」です。産まれた時から身の回りにネット環境があって、口の利き方や手足の動かし方を学ぶ傍らで、通信機器の扱いを覚えた世代として認知されています。

 インターネットに強い世代

 なんだか、酷く乱暴で滑稽な言葉です。「彼ら」なんて言い方をしましたが、実はぼくも1990年代の生まれなので、当然のようにデジタルネイティブに分類されます。しかし生憎と、ぼくは自身のアイデンティティとして、この「デジタルネイティブ」なる属性を受け入れることが出来ません。

 ぼくはつい最近まで、ワードをPDFに変換する方法すら知りませんでしたし、流行のリモートツールだってさして詳しくありません。初等教育で導入されているプログラミングの授業などは、ぼくにとって卒倒ものです。「ぼくが一番、ネットをうまく使えるんだ」なんて、家族の間でも言えません。むしろ二回り三回り年上の父が、ぼくにこの手のレクチャーをする有り様です。

 父の方がよっぽど手足のように、母語のように、通信技術を扱えています。デジタル上で、父がネイティブスピーカー然と振る舞っているのに対し、ぼくが出来ていることはピジン言語みたいなものです。カタコトです。

 ぼくはデジタルネイティブでなく、理系でなく、女性でありません。また、紅茶派でなく、「きのこの山原理主義者」でなく、電子書籍愛好家でありません。

 取りまとめれば、「ぼくは機械音痴であり、偏屈であり、徒労と分かってても時間を費やす変な生き物である」ということになるかも知れませんが、ぼくは敢えて先述のやり方を採ります。アンチ自己紹介を謳っておいて、結局は自己紹介の文脈に回収されてしまっている訳ですが、そこも気にしません。なぜなら、ぼくにとっての執筆活動は職務でなく、義務でなく、理性的でないからです。

 これから先も大いに捻くれますが、どうかご容赦ください。
 宜しくお願い致します。